2016年3月12日土曜日

3.11のこと

こんばんは。

3.11のこと、
今年は書けるかなと思ったけど、当日には無理でした。


わたしは今日、
コピー機の前に立ち、もうあの時間かしら、、
と思って振り向いたその時計の針は、

15時をとうに過ぎてました…。


そうか、
今のわたしがいるのはそんな世界。



でもね。

わたしはそれは嘘で、


自然に染み付いている、不安と恐怖の静かなマンホール。


いつもは顔を出さないのだけど、
それがあるのがフツウというか。


もう自分は経験したことがないような意識の日々にいるけれども、

忘れるとか忘れないとか、
そういうものじゃなく、
そこにあるのが当たり前。みたいな意識です。



震災のとき、どこにいた?


っていう会話を、あのとき良くしていた。


どうやって帰ったかとか、
サバイブしたのかとか。


このタイミングですこし、そんな話をしてみたい人もいるけど、
わたしは楽しくなるだろうか。


あの日いちにちの話より、
震災が起きてからがつらかった。


でもね、


今やりたいことをしていて、SHIEN学を学んで、自立して、健康や食への興味が加速したのも、


すべて震災があったから。


今のわたしがいるのは、震災があったから。



そうなの。


震災前のわたしは〜〜。
震災前にこのお店はやってたのかな。
この人は震災でどんな影響を受けたんだろう。
そうか、ここのスタートは震災後からなんだ。


震災基準で生きています。


❤︎
震災が起きた翌週の金曜。

上長へ、
会社をサボって、始業後の9時に掛けた、福岡空港からの電話。


体調が悪いのでお休みさせてください。


大嘘だ。
車が通る音がきっと聞こえてる。

でも、上長は分かったよ〜と言ってくれた。
気づいていたのだろうか。



わたしは怖くて、
会社をサボって実家に帰っていた。




丁度3連休前だったし、(来週にくる3連休がちょうど5年前なんだね)


親も、帰ってきなさいと言ってくれた。


何故だか寄ったできたばかりの博多阪急はすごく気軽で、
とってもなぐさめられたことをよく覚えている。


あの気軽さ気楽さが嬉しかった。




震災当日にたかだか50分歩いて帰ったことより、
わたしはこの日のことをよく覚えている。



(今気づいたけど、阪急に寄ったのは、そこで働いてたイトコに会いたかったからだ。
優しくされたかったんだ。ホッとしたかったんだね。

そして、朝9時に福岡空港って、どんだけ早い飛行機!!
いつもは夜帰るので、こんな時間に起きて飛行機乗るのはすごいイレギュラーだよ。やっぱりいつものと違ってた。)




すうっと、透明だけどいつも静かにいる存在。
これからも関わり続ける存在。
わたしのなかで無視する選択肢が用意されていない存在。


しばらく東京にいると決めた覚悟。
あのとき日本にいなかった人との温度差。


わたしは強くなった。



3.11が近づいてくるのを
ひとり、ひっそりと、ドキドキしながらことし過ごしていた。

5年て早すぎ。


でもどれだけ年数を重ねても、
同じ思いだと思う。


別のミライが終わり、別のミライに切り替わったできごと。



やっと、震災のときのことを、
書けた気がする。

やっとやっと。

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