3.11のこと、
今年は書けるかなと思ったけど、当日には無理でした。
わたしは今日、
コピー機の前に立ち、もうあの時間かしら、、
と思って振り向いたその時計の針は、
15時をとうに過ぎてました…。
そうか、
今のわたしがいるのはそんな世界。
でもね。
わたしはそれは嘘で、
自然に染み付いている、不安と恐怖の静かなマンホール。
いつもは顔を出さないのだけど、
それがあるのがフツウというか。
もう自分は経験したことがないような意識の日々にいるけれども、
忘れるとか忘れないとか、
そういうものじゃなく、
そこにあるのが当たり前。みたいな意識です。
震災のとき、どこにいた?
っていう会話を、あのとき良くしていた。
どうやって帰ったかとか、
サバイブしたのかとか。
このタイミングですこし、そんな話をしてみたい人もいるけど、
わたしは楽しくなるだろうか。
あの日いちにちの話より、
震災が起きてからがつらかった。
でもね、
今やりたいことをしていて、SHIEN学を学んで、自立して、健康や食への興味が加速したのも、
すべて震災があったから。
今のわたしがいるのは、震災があったから。
そうなの。
震災前のわたしは〜〜。
震災前にこのお店はやってたのかな。
この人は震災でどんな影響を受けたんだろう。
そうか、ここのスタートは震災後からなんだ。
震災基準で生きています。
❤︎
震災が起きた翌週の金曜。
上長へ、
会社をサボって、始業後の9時に掛けた、福岡空港からの電話。
体調が悪いのでお休みさせてください。
大嘘だ。
車が通る音がきっと聞こえてる。
でも、上長は分かったよ〜と言ってくれた。
気づいていたのだろうか。
わたしは怖くて、
会社をサボって実家に帰っていた。
丁度3連休前だったし、(来週にくる3連休がちょうど5年前なんだね)
親も、帰ってきなさいと言ってくれた。
何故だか寄ったできたばかりの博多阪急はすごく気軽で、
とってもなぐさめられたことをよく覚えている。
あの気軽さ気楽さが嬉しかった。
震災当日にたかだか50分歩いて帰ったことより、
わたしはこの日のことをよく覚えている。
(今気づいたけど、阪急に寄ったのは、そこで働いてたイトコに会いたかったからだ。
優しくされたかったんだ。ホッとしたかったんだね。
そして、朝9時に福岡空港って、どんだけ早い飛行機!!
いつもは夜帰るので、こんな時間に起きて飛行機乗るのはすごいイレギュラーだよ。やっぱりいつものと違ってた。)
すうっと、透明だけどいつも静かにいる存在。
これからも関わり続ける存在。
わたしのなかで無視する選択肢が用意されていない存在。
しばらく東京にいると決めた覚悟。
あのとき日本にいなかった人との温度差。
わたしは強くなった。
3.11が近づいてくるのを
ひとり、ひっそりと、ドキドキしながらことし過ごしていた。
5年て早すぎ。
でもどれだけ年数を重ねても、
同じ思いだと思う。
別のミライが終わり、別のミライに切り替わったできごと。
やっと、震災のときのことを、
書けた気がする。
やっとやっと。
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